過去の新法・新判例

2020年05月01日

非常時における代替戦略としてのBCP

弁護士 木村 亮介

1.はじめに


 昨年末に中国武漢市付近で初めて確認された新型コロナウイルスによる感染症の流行は、本稿執筆時点(2020年4月15日)においても収束の兆しを見せてはいません。
 我が国においては、今年に入って以降、感染拡大を防止するため、多くの企業が在宅勤務(テレワーク)や時差出勤を導入する等の工夫を凝らしています。また、店舗等の営業時間を短縮し、大人数が一堂に会する各種イベントを中止するなど、様々な対応を余儀なくされています。市場では、感染予防のためのマスクやアルコール消毒液等の衛生関連商品、一部の日用品が品薄となる等、二次的な現象への対応を強いられている企業もあります。このような新型コロナウイルスによる経済的インパクトは計り知れません。
 しかし、今回の新型コロナウイルスの登場に限らず、これまでにも度々、新型インフルエンザの流行等、重大な感染症は発生しており、その度に、世界的な問題となってきました。このことを踏まえると、確かに今回の新型コロナウイルスの登場とその経済的インパクトについては、誰も予見することができなかったかもしれませんが、少なくとも、抽象的なレベルにおいては、重大な感染症の流行は企業として想定すべき問題であるように思われます。
 企業が想定すべき将来の重大なリスクという意味においては、突然の大地震や大雨による洪水等の自然災害についても同様です。
 そこで、本稿では、今回の新型コロナウイルスによる感染症の流行をひとつの契機として、このような感染症の流行や突然の大地震、大雨による洪水等の自然災害といった、将来の重大なリスクに備えた「BCP」策定の重要性について、法的観点から検討したいと思います。


2.「BCP」とは


 BCP(Business Continuity Plan)とは、災害時に特定された重要業務が中断しないこと、また万一事業活動が中断した場合に目標復旧時間内に重要な機能を再開させ、業務中断に伴う顧客取引の競合他社への流出、マーケットシェアの低下、企業評価の低下などから企業を守るための経営戦略をいい1、一般に「事業継続計画」などと訳されます。海外では2001年のアメリカ同時多発テロを機に、特に日本では2011年の東日本大震災を機に、その重要性が広く認識されました。
 BCPは、主に企業で働く役員や従業員等の生命、身体の安全を守ることを主眼とした防災計画とは異なります。あくまでも予め設定された受容可能なレベルで事業活動を継続し続けることにより、役員や従業員だけではなく、取引先や投資家、延いては社会全体を含むステークホルダーの利益を守ることを目的としています。その意味で、BCPとは、万が一の場合における、企業の代替戦略であるということができます。


3.BCP未策定による法的リスク


 現在、少なくとも明文上は、企業に対してBCPの策定を直接的に義務付ける法令等は見当たりません。そのため、企業において十分なBCPを策定していないからといって、そのことが直ちに違法と評価されることはないと思われます。
 しかし、BCPを策定していない企業においては、例えば、以下のような法的リスクが考えられます。


(1)取締役の善管注意義務違反

 取締役は、会社に対して、会社の規模、業種、経営状況等の客観的条件により一般に要求される注意をもって合理的に職務を遂行することを内容とする善管注意義務を負っています(会社法第355条)。この善管注意義務は、非常時であるというだけで直ちに免除されることはありません。
 重大な感染症の流行や突然の大地震、大雨による洪水等の自然災害が発生すれば、企業は決して小さくない影響を受けます。そして、これらのリスクが具体的にいつ、どこで、どのように発現するかを予測することは、現代の技術ではまだ難しいかもしれませんが、少なくとも、これらのリスクがいずれ現実のものとなる可能性があることについては、誰もが認識しているところかと思います。
 日本でBCP策定の重要性が広く認識される契機となった東日本大震災から7年後の2018年に内閣府防災担当が実施した調査2では、大企業の64.0%、中堅企業の31.8%が、BCPを「策定済みである」と回答しました。これに、「策定中である」と回答した企業を加えると、大企業の81.4%、中堅企業の46.5%において、BCP策定に関する取組みが行われていることになります3
 先述のとおり、取締役は、一般に要求される程度の注意をもって職務を遂行しなければなりません。そのため、このように多くの企業においてBCP策定に関する取組みを行うことが一般的になれば、万が一の場合、具体的事案によっては、BCPを策定していないことが取締役の善管注意義務違反と評価される可能性があると考えます。

(2)安全配慮義務違反

 安全配慮義務とは、ある法律関係に基づいて特殊な社会的接触の関係に入った当事者間において、互いに相手方の生命、身体等を害さないよう配慮すべき信義則上の義務をいいます4。一般的には、雇用契約における使用者の労働者に対する安全配慮義務が問題になることが多いですが、安全配慮義務は雇用契約に限らず様々な法律関係において発生します。これにより、企業は、たとえ災害時であっても、従業員や顧客等が生命、身体等の安全を確保するために必要な配慮をする法律上の義務を負います。
 東日本大震災の際には、企業の従業員や顧客に対する安全配慮義務が大きく取り上げられ、特に津波の被害に関して多数の訴訟が提起されました5。各事案で特に問題となったのは、津波被害を予見することができたかどうかという予見可能性の有無でした。裁判所は、抽象的な津波が来ることの予見可能性にとどまらず、当該事案において津波による具体的な被害の発生を予見できたかどうかを基準に、企業側の安全配慮義務違反の有無を判断する傾向にあります。
 このような裁判所の立場は、阪神淡路大震災の頃から一貫しているように思われます。地震による火災に関する倉庫会社の過失責任が問われた事案において、裁判所は、「我が国が地震多発国であることからすると、地震の発生それ自体は予見可能というべきであろうが、(中略)本件大震災規模の地震の発生を予見することは不可能ではないという程度の抽象的な予見可能性で足りるとすることは、規範的観点から過失の前提要件として予見可能性を求める趣旨が没却されるから、過失の前提としては、より具体的な予見可能性を要すると解するほかない」と述べ、日本は災害大国なのだから地震が来ることは分かっているはずであるといったような抽象的なレベルでは予見可能性ありとは言わず、より具体的な予見可能性が求められることを明言しました6
 このような裁判例に見られる裁判所の立場を踏まえると、重大な感染症の流行や突然の大地震、大雨による洪水等の自然災害の発生が抽象的に予見可能であるからといって、万が一の場合に、企業が、これに対する備えを十分にしていなかったとしても、直ちに安全配慮義務違反と評価されることはなさそうです。
 しかし、例えば、現実に大きな地震が発生した場合にはその後の余震や各種警報等に注意して行動すべきと思われますし、昨今のコロナウイルスによる感染症のような重大な感染症が流行した状況においては、従業員等を感染から守るため、公的機関からの指示や要請等に従い適切に対応すべきと思われます。このような具体的な予見可能性が認められる状況において不適切な対応をすれば、企業はその責任を問われる可能性があります。
 非常時に普段とは異なる環境で事業を継続させるためには、状況に応じて特別な配慮が必要になります。このような非常時の状況を事前に想定して計画を整備しておかなければ、企業は、安全配慮義務等の責任を十分に果たした状態で事業を継続することは難しいように思われます。なお、東日本大震災の際の裁判例の中には、企業の責任を認定するにあたって、日頃の備えや対策等の状況を踏まえているものもあります。
 万が一の場合に、企業として十分な対応を行うためには、非常事態を予め想定したBCPの策定が重要であると考えます。

(3)各種契約上の義務違反

 重大な感染症の流行や自然災害が発生すると、企業は、取引先等との契約において定められた債務を履行することが困難となる場合があります。逆に、取引先等が契約上の債務を履行することができなくなることで、企業の事業活動に重大な支障が生じる場合もあります。取引先等が債務を履行しないために、企業が他の取引先等に対して連鎖的に債務を履行することができなくなることも考えられます。
 このような場合、一般的には、取引関係にある各企業間において、債務不履行に基づく損害賠償責任の成否等が問題になります。
 この点、基本的に、債務不履行に陥った当事者に帰責性がなければ損害賠償責任は生じません。そのため、災害等のリスクを想定してBCPを策定し、できるだけ自らの債務を履行できる体制を整備して、必要な対応を尽くしておくことが重要です。これにより、企業が債務の履行等を通じて社会的責任を果たすことができるだけでなく、万が一債務不履行に陥った場合でも、企業が自らに帰責性がないことを主張しやすくなるためです。
 また、BCPの一環として、日頃から契約上の不可抗力条項等を意識的にチェックすることも重要です。このような契約上の定めによっては、企業が万が一債務不履行に陥った場合に、直ちに損害賠償責任を負うことを回避するとともに、非常時の状況に応じて取引関係を柔軟に調整することが容易になる可能性があるためです。この点、一般的な契約書では、企業が免責される事由としての不可抗力の内容が曖昧なものが多いように思われます。規定の性質上、ある程度抽象的な文言になることはやむを得ないと思われますが、具体的な災害等が発生した場合における企業の責任の有無を明確化する意味では、不可抗力について、できるだけ具体的に例示列挙しておくこと等も検討に値すると考えます。

(4)レピュテーションリスク

 必ずしも法的な問題ではないものの、BCPを策定していない企業においては、レピュテーションリスクが考えられます。
 レピュテーションとは、企業の行為やそれに言及する情報をもとに与えられる、あらゆるステークホルダーによる評価の集積と言われます。レピュテーションは、必ずしも可視的ではなく、それ自体を厳密に数値化することは容易ではないと思われるものの、企業価値を考えるうえでレピュテーションを無視することができないことについては、既に広く認識されているかと思います。
 重大な感染症の流行や自然災害が発生すると、これにより大きな損害を被り失速する企業がある一方で、迅速適切な対応により、取引先や投資家、延いては社会全体を含むステークホルダーからの信頼を集め、逆境をバネに飛躍的に成長する企業もあります。
 先述のとおり、BCPは、広くステークホルダーの利益を守ることを目的としています。非常時においても当該企業や社会全体にとって重要な事業を継続し、安定して商品やサービスの提供を継続することは、企業の重要な社会的役割であると考えます。
 逆に、非常時の状況に適切に対応することができなければ、広くステークホルダーからの信頼を失うかもしれません。そうならないためにも、将来の重大なリスクを想定してBCPを策定し、重要な事業を継続するための戦略をもっていることは重要であると考えます。

4.BCP策定の手引き


 企業が実際に策定すべきBCPの内容や策定方法は、各企業の事業や取り巻く環境によって様々です。そのため、企業は、BCP策定にあたって、自社の状況を踏まえ、非常時において自社が果たすべき社会的責任や、自社にとって重要な事項等を明確にし、これに基づいて基本方針を策定することが重要です。
 そして、企業の重要な事業に発生し得るリスクの種類やその影響の大きさ等を分析し、当該リスクが顕在化した場合のシナリオを描いたうえで、重要事業の目標復旧時間や目標復旧レベルを検討します。例えば、大地震が発生した場合を想定すると、そのインパクトは局所的ではあるものの、突発的にヒトやモノに甚大な被害が生じます。一方、重大な感染症が流行した場合を想定すると、基本的にモノに損害は生じないものの、段階的かつ世界的に影響が拡大し、主に従業員等のヒトに重大な問題を生じさせます。このように、想定されるリスクによって、これが顕在化した場合のシナリオや対策は自ずと異なってきます。これらの分析及び検討結果に基づいて、非常時の組織体制や権限の委譲、事業の運営方法等の具体的な戦略及び対策を策定し、BCPとして文書化することになります。
 なお、BCPは、必ずしも一個の企業において完結するものではありません。ときに、地域社会やサプライチェーン等の取引先との協力を通じて、より完成度の高いものになります。そのため、BCPを策定するにあたっては、取引先等に対して協力を求め、非常時の対応方針等について互いの認識にずれが生じないよう確認しておくことが有益です。
 先述のとおり、企業が実際に策定すべきBCPの内容や策定方法は、各企業の事業や取り巻く環境によって様々ですが、さいごに、公的機関が公表しているものの中から、BCPを策定するにあたって有益な手引きとなると思われる資料等を紹介します。


(1)内閣府防災担当『事業継続ガイドライン』

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kigyou
 主として、大地震を想定したBCPを策定するにあたっての考え方や策定の手順等について詳細に説明しています。

(2)経済産業省『事業継続計画策定ガイドライン』

https://www.meti.go.jp/policy/netsecurity/downloadfiles/6_bcpguide.pdf
 主として、情報システムの重要性に着目してBCPを策定するにあたっての考え方や策定の手順等について詳細に説明しています。

(3)中小企業庁『中小企業BCP策定運用指針』

https://www.chusho.meti.go.jp/bcp/
 中小企業におけるBCP策定を念頭に、入門編から上級編まで段階的に説明しています。大企業においても参考になる部分は多いように思われます。

(4)厚生労働省『新型インフルエンザ対策行動計画』及び『新型インフルエンザ対策ガイドライン』

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/13.html
 必ずしもBCP策定を念頭においたものではありませんが、新型インフルエンザの流行による被害を想定した必要な行動指針等を示しています。重大な感染症の流行を想定したBCP策定にあたって参考になると思われます7

(5)「事業継続力強化計画」の認定制度

https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/antei/bousai/keizokuryoku.htm
 必ずしもBCP策定の手引きとなるものではありませんが、昨年改正された中小企業強靱化法に基づく、中小企業が策定した防災・減災の事前対策に関する計画を経済産業大臣が認定する制度です。認定を受けた中小企業は、税制優遇や金融支援、補助金の加点等の支援策を受けられます。

5.おわりに


 今回は、新型コロナウイルスによる感染症の流行をひとつの契機として、将来の重大なリスクに備えたBCP策定の重要性について検討しました。
 なお、BCPは策定により完結するものではありません。企業は、非常時にこれに従って事業を適切に運営することができるよう、絶えず従業員等に対して教育や訓練を実施し、状況に応じて見直しと改善を繰り返す必要があります。
 本稿において紹介した資料等も参考に、万が一の場合の自社のリスクを洗い出し、BCPの策定、運用とメンテナンスを進め、企業の事業継続能力の一層の向上に役立てていただければ幸いです。



以上
    __________________
    1内閣府防災情報のページ
    (http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kigyou/keizoku/sk.html)

    2平成29年度企業の事業継続及び防災の取組に関する実態調査
    (http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kigyou/pdf/h30_bcp_report.pdf)

    3ただし、当該調査では、各企業のBCPの内容の十分性までは調査対象に含めていないため、「策定済みである」と回答した企業においても、適切に実効性のあるBCPが策定されているかどうかについては明らかではありません。
    4最高裁昭和50年2月25日判決
    5仙台地裁平成25年9月17日判決、仙台地裁平成26年2月25日判決、仙台地裁平成27年1月13日判決等
    6東京地裁平成11年6月22日判決
    7必ずしも昨今の新型コロナウイルスによる感染症の流行を想定した内容とはなっていませんので、ご注意ください。新型コロナウイルスによる感染症への具体的な対策については、公的機関から発表される最新情報をご確認ください。